
山梨県富士河口湖町
2021.10.20
この記事では、日本各地のナビゲーターが、その土地に暮らす人たち(ふるさとLOVERS)からお聞きした「100年先に残したいもの」をご紹介します。今回、京都府京丹後市の「100年先に残したいもの」を語ってくれるのは、京丹後市で呉服屋を営む、きもの処いけ部の池部隆明さんです。
京都府最北端に位置する、京丹後市。日本海に面した一帯は丹後半島と呼ばれ、海運が主だった時代には大陸や朝鮮半島から最先端の文明を迎え入れる文化の玄関口として栄えた地域でした。そんな歴史と風土によって育まれた地場産業の一つが、絹織物の丹後ちりめん。冒頭にある画像の暖簾(のれん)をじっくり眺めると、布地の表面に凸凹模様が表れていることにお気づきでしょうか?
この模様こそ、「縮緬(ちりめん)」と呼ばれる布地の特徴。ヨコ糸に丹後の産地特有の加工を加えることによって織り上げた布地の表面には「シボ」と呼ばれる凸凹の模様が表れるのです。ちりめんの生地はこのシボ模様によってシワになりにくく、さらに凸凹模様で光が乱反射することによって染色の美しさを引き立て、機能性と風合いを兼ね備えた生地として評価されてきました。着物生地の一大産地となった丹後半島では、今なお、国内産の和装用生地のうち7~8割を生産する産業が継承されています。
日本最大級の絹織物産地として栄えた丹後の地域で、機屋(はたや)さんの長男として育った池部隆明(たかあき)さん。着物に関わる仕事へ進むことは、とても自然な流れだったのだとか。そんな池部さんに「100年先に残したいもの」を聞いてみたところ、「地場産業として、ふるさとの風景を築いてきた源である丹後ちりめんを、次の世代に残していきたい」とのこと。池部さんが惚れ込む丹後ちりめんの一端を知るために、丹後ちりめんにちなむ神社と織の現場を、池部さんと一緒にめぐりました。
丹後半島には約8kmにおよぶ白砂のロングビーチを始め、多様な海沿いの風景が続いています。海の風景とアクティビティをきっかけに多くの観光客を呼び寄せる海ですが、それは丹後ちりめんの発展においても欠かせない要素でした。
繊細な絹糸にとって乾燥は大敵。日本海から湿った季節風が届く丹後半島は、絹糸を扱うに適した気候風土に恵まれていたのです。このような自然条件を活かしながら、絹糸に独自の加工を施す創意工夫の努力によって、生地にシボ模様が表れる丹後ちりめん特有の風合いが生み出されました。
最初に訪れたのは、京丹後市網野町にある蠶織(こおり)神社。「蠶」という漢字は「蚕」の旧字体で、こちらは「蚕(かいこ)」にまつわる「養蚕の神様」と「織物の神様」を祀った神社です。蚕とは繭(まゆ)をつくる幼虫のこと。繭をつくる蚕なくして、絹織物を織ることはできません。
時代は大正14年のこと。「地場産業に感謝するような御神体を祀ろう」といった意見が寄せられて、江戸後期に建立された社殿に、養蚕と織物の神様をお招きする運びとなったそうです。「蚕さん」と必ず敬称を付けて呼ぶ丹後の人々。絹織物をつくるにあたって欠かせない「蚕さん」への敬意と感謝のこころが、言葉や信仰の形となって表れている風習を感じます。
蠶織神社には、毎年4月に白生地の反物が捧げられるしきたりがあります。そんな奉納品の反物を織るにあたって、本格的な春の訪れの前に行われるのが、禊(みそぎ)の儀。機屋の中の有志が、着物を脱ぎ去り「祓いたまえ、清めたまえ!」と唱えながら、初春の日本海へと入ります。
初春といえば、雪解け水が海へ注がれて海水がもっとも冷たい頃。厳しい風が吹き寄せる夜の日本海で身体を清める儀式。想像しただけでも身体が凍えそうですね…。そんな禊の儀式を経て織られた白生地は、奉納を終えたあと染色、縫合の工程を経て「ちりめんおみくじ」として人々の手元に渡ります。
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施設名
蠶織神社(網野神社の境内社)
住所
京都府京丹後市網野町網野789
電話番号
0772−72−0079
さて、続いては織物工場・田勇機業株式会社を訪ねました。案内してくれたのは、会社の三代目である田茂井(たもい)勇人さん。まず田茂井さんが、会社のお土産売り場に飾られている繭を見せてくださいました。
展示されていたのは、大人が両手で抱えるくらいの大きさのカゴに入った、大量の繭。着物一着、つまり一反分の反物には、このように約3000個の繭を必要とするそうです。
「繭の収穫にも旬があること」「収穫期は年に5回とおよそ決まっていること」「生糸の品質は8割が繭で決まること」といった風に、生糸の原料となる繭は自然素材ゆえに季節感や個体差があるわけです。生糸の仕入れとロット管理には厳重注意。丹後ちりめんの生産は、生糸を目利きする段階から始まっていたのですね。
さて、つづいては織物工場の見学へ。織物業といっても、仕入れた生糸をつかってすぐに織りの工程へ移るわけではありません。写真に写っているのは、布を織るためにタテ糸を準備している「整経(せいけい)」の工程です。
また別の工程では、ヨコ糸へ丹後ちりめん特有の加工を施します。こちらの工場で採用されているのは、湿式八丁撚糸(しっしきはっちょうねんし)と呼ばれる方法で、なんと、湿らせた状態の生糸に1mあたり3000~4000回もの「撚り(より)」を加えていくのです。ヨコ糸に何度も撚りを加える技術が独特なシボ模様を表現します。
機織りの工程へと足を踏み入れた瞬間、激しい音の世界に圧倒されます。ヨコ糸が通るたびにガッチャン、ガッチャンと動く機織り機が、工場のなかに全部で約60台。機織り機が複数動けば、激しい音が響き渡ります。
激しい音が鳴り響く世界と、そこから生み出される繊細な絹織物のギャップ。着物をまとう機会がある方には、この工場の音と光景に一度は立ち会ってみてほしいと思いました。
丹後ちりめんが生み出される風景を案内してもらって頭に浮かんだのは「丹後ちりめんは、手作りと機械づくりの共創による工芸品である」という学びでした。
すべての反物は機械で織られているのですが、その機械を扱う方法こそ職人技の世界。わずかに重量の異なる重りを引っ掛けてスピードを調整したり、機械ごとのクセを知って制御したり、手織りではなく、一方で完全なるコンピューター制御でもない機織り機で、人と機械が共にはたらいた結果、唯一無二の反物として仕上げられているのではないでしょうか。
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施設名
田勇機業株式会社
住所
京都府京丹後市網野町浅茂川112
電話番号
0772-72-0307
営業時間
8:30~18:00(工場見学も可。ご希望の場合は、あらかじめお問い合せください。)
休業日
土・日曜、祝日
※施設に属する情報に関しましては、予告なく変更となる可能性がございます。ご訪問の際は各施設のホームページ等で最新の情報をご確認いただきますようお願いいたします。
2020年、創業300周年の節目を迎えた丹後ちりめんですが、織物全体の郷土史はさらに歴史が深いもの。丹後半島は、養蚕や織物、稲作、酒づくりの知恵を授かった天女伝説、朝鮮半島と交易をしていたであろうことを表すような浦島伝説など、昔話として親しみ深い伝説伝承の発祥地でもあるのです。そして、数々の伝承を紐解くと海運の要地であった丹後半島からは「常に新しい文化と技術を受け入れてきた風土」が浮かび上がります。
「丹後を訪れたなら、ぜひ丹後ちりめんの生地が生まれる風景を見て、次の世代へ残す在り方を一緒に見つけてほしい」と話す池部さん。近年では着物業界に留まらず、異業種のデザイナーたちが生地素材の探求に、この地を訪れます。こうして生まれる交流のなかで次の革新を重ねつつ、また新たに「やがて丹後の伝説になる物語」を刻みながら、丹後半島の風土と織物文化の伝統が受け継がれていくことでしょう。
近畿支部 地域ナビゲーター
老籾 千央
京都府最北端のまち・京丹後市出身、在住。森と林業について学び、京阪神エリアではたらいた後、10年振りにふるさとへUターン。現在は有機農家として稲作、お米をつかったお菓子を販売する傍ら、ライターや編集者として京丹後の暮らしについて発信しています。