石川県金沢市

守り抜かれた江戸時代の町並み

2022.07.19

日本各地のナビゲーターが、その土地に暮らす人たち(ふるさとLOVERS)からお聞きした「100年先に残したいもの」をご紹介するコーナー。今回は、石川県金沢市にあるオリエンタルブルーイング株式会社の栗原舞さんに、長町武家屋敷跡をおすすめいただきました。

城下町風情を色濃く残す金沢の町並み

加賀百万石(かがひゃくまんごく)の城下町・金沢。まちを歩くと、そこかしこで藩政時代の面影を残す風景に出合います。今回ご紹介する「長町(ながまち)武家屋敷跡」もそのひとつ。加賀藩の中級武士たちが屋敷を構えた界隈で、街路や町割りがほぼ当時のまま残っています。

「初めて訪れた時、びっくりしたんですよ。繁華街のすぐ裏手に江戸時代の町並みが広がっていて」。そう話すのは、100年先まで残したい風景として「長町武家屋敷跡」を紹介してくれた栗原舞さん。金沢市内でクラフトビールを醸造する「オリエンタルブルーイング」で広報を務め、金沢の食材とビールのペアリングについても発信しています。

就職のため県外から金沢にやって来た栗原さんは、城下町の風景にたちまち魅了されたそう。なかでも長町武家屋敷跡は「土塀沿いに用水が流れていて、とても風情豊か。住まいが近いので、お気に入りの散歩コースになっています」と、その魅力を語ってくれました。

ガイドさんと一緒に長町武家屋敷跡を歩く

長町武家屋敷跡にやって来ました。石畳の小路に、板葺き屋根をのせた土塀。歴史を感じさせる美しいたたずまいに、思わず歩をゆるめます。金沢を代表する観光スポットですが、いまも住民が暮らしを営む閑静な住宅街でもあります。

界隈の中ほどには「長町武家屋敷休憩館」があり、こちらにはボランティアガイド「まいどさん」が常駐。予約がなくても無料で周辺を案内してくれます。今回はまいどさんの案内で、見どころを巡ることにしました。

担当してくれたのは、まいどさん歴20年以上の纓田千恵子(おだちえこ)さん。「長町は加賀藩前田家の直臣(じきしん:直属の家臣)の屋敷があったところ。加賀藩家老の長(ちょう)氏の屋敷へ続く道であったことが、長町の名の由来のひとつといわれています」。基礎知識を頭に入れて、さっそく長町散策へ出発!

藩政時代のまちの姿をとどめる長町界隈

土塀が連なる道が、ゆるやかにカーブを描きながら続きます。「金沢城を中心に“の”の字を描くように道が作られました。金沢は戦災を免れたので、400年以上前に造られた城下町のかたちが色濃く残されています」と纓田さん。

「土塀の高さに注目してください。賊が忍び込むのを防ぐには、少し低いでしょう?でも道行く人に美しい庭木を見せるには、ちょうどいい高さなんですよ」

纓田さんの言葉を聞いて改めて通りを眺めると、手入れの行き届いた樹木が黄土色をした土塀に彩りを添え、四季の風情を感じさせてくれます。なるほど、塀の高さは加賀藩士たちの美意識の表れというわけですね。

敵襲への備えも武家屋敷ならでは

「二の橋通り」とよばれる石畳の小路は、途中で右、左とクランク状に折れ曲がっています。これは見通しを悪くすることで敵の侵入をさえぎるため。城下町ならではの街路です。

こちらは「武者窓」。出入りする者を監視するため、門に出窓を設けて守りを固めました。石垣には、金沢市郊外で出される戸室石(とむろいし)が使われています。「金沢城と同じ戸室石が使われているということは、格式が高い家ということ。この長屋門には厩(うまや)もあります。400石以上の藩士でなければ馬を持てなかったそうですよ」と纓田さん。

道端で面白いものを見つけましたよ。「“ごっぽ石”といいます。昔の人は下駄をはいていたでしょ?雪道を歩くと歯の間に雪が詰まるので、ごっぽ石でコンコンッて叩いて雪を落としたんです。訪問先の玄関を濡らさないようにとの配慮でもありました」。今ではほとんど見かけることのない、雪国ならではの工夫です。

加賀藩の足軽は庭付き一軒家暮らし

長町の一画には、戦時に歩兵として活躍した足軽の屋敷が移築されており、自由に見学できます。他藩では長屋住まいが一般的だった足軽ですが、百万石の大藩だった加賀藩では庭付き一戸建てが与えられました。足軽屋敷は土塀ではなく生垣で囲われていますが、床の間をしつらえた客間もあり、簡素ながらもれっきとした武家屋敷の体裁を整えています。

「庭には果樹を植え、家庭菜園を行っていたようです」と纓田さん。縁側にたたずんで庭を眺めていると、加賀藩の足軽たちの堅実な暮らしぶりが目に浮かぶようでした。

何百年にもわたってまちを潤してきた用水

さて、長町武家屋敷跡の景観に欠かせないのが用水です。金沢市内には55の用水が網目のように張り巡らされていますが、なかでも最古とされているのが、長町を流れる大野庄(おおのしょう)用水。かつて物流の役割も担い、金沢城を築く際にはこの用水を使って港から木材を運搬したといわれています。別名・御荷川(おにがわ)とよばれるのは、その名残。

物流だけでなく、防火や灌漑などにも使われてきた大野庄用水。武家屋敷の池にも清らかな水が引かれ、庭木をうるおしています。「夏にはホタルも見られますよ」という纓田さんの言葉に驚きました。金沢随一の繁華街のすぐ裏手に、ホタルが棲んでいるとは。

金沢市民が景観保全に取り組む原動力とは

土塀が連なる町並みや、美しい用水。実はこの景観の維持に、地元の人々は長年にわたって相当な労力を費やしてきました。土塀が傷めば補修し、冬になれば雪から守るためにわらで作った薦(こも)を掛ける。用水の清掃や管理も簡単なことではありません。

昭和の高度経済成長期、現代的で便利な暮らしを求めて、全国各地で多くの特色ある町並みが失われました。一方で金沢は土塀を壊すことなく、用水を地中に埋設することもなく、景観を維持する道を選びました。1968年に金沢市が制定した「伝統環境保存条例」は、歴史や文化を生かしたまちづくりの先駆けだったそうです。

手間や費用をかけてまで、地元の人々が景観保全に力を尽くす理由を纓田さんに尋ねました。「まちへの誇りだと思います。加賀百万石の誇りと美意識が、そうさせるのではないでしょうか」

歴史的な建造物や景観を維持するため、金沢市では職人大学校を開設しています。ここでは造園や左官、大工などの職人が、樹木を雪から守る雪吊りや歴史的建造物の修理といった伝統技術を学んでいます。「金沢の景観を守るためには技術を絶やすわけにいきません。維持できなければ失われてしまいますから」と纓田さん。

加賀百万石の豊かな文化を後世へとつなぐ

推薦者の栗原さんは、こう言っていました。「繁華街のすぐそばに、藩政時代から変わることのない町並みが残っているって、すごいことですよ」。目まぐるしく変わる時代の中でも、失ってはいけないもの、受け継ぐべきものを、金沢の人々は知っていました。そして景観を守るためには、技術や文化も含めて継承しなければならないことも。

金沢の歴史と文化の奥行きを肌で感じられる長町武家屋敷跡。加賀藩士たちが行き交った頃の風景は、人々の誇りや美意識とともに100年後も200年後も、時代を超えて受け継がれていくに違いありません。

施設情報はこちら

施設名
長町武家屋敷跡

住所
石川県金沢市長町

電話番号
076-232-5555(金沢市観光協会)

※施設に属する情報に関しましては、予告なく変更となる可能性がございます。ご訪問の際は各施設のホームページ等で最新の情報をご確認いただきますようお願いいたします。

地域ナビゲーター

森井 真規子

中部支部 地域ナビゲーター
森井 真規子

石川県小松市在住のライター。航空自衛隊、海外生活を経て故郷にUターン。金沢のライター事務所で修業を積み、2005年からフリーランスで活動しています。出会う人やモノ、コトのストーリーを丁寧にすくいあげ、分かりやすい言葉で伝えることを心がけています。