兵庫県三木市

「金物のまち」三木に残った肥後守ナイフ

2022.06.21

日本各地のナビゲーターが、その土地に暮らす人たち(ふるさとLOVERS)からお聞きした「100年先に残したいもの」をご紹介するコーナー。今回は、鳥取県米子市にある株式会社エッグの古田 武丸さんに、出身地・兵庫県三木市の肥後守ナイフをおすすめいただきました。

神戸のベッドタウンは金物のまち

兵庫県三木市は神戸市の北西に位置する、自然豊かなベッドタウンです。神戸電鉄粟生(あお)線に沿って市街地が広がっていますが、市内は、上り列車も下り列車も同じ線路を使う単線の区間。小さな駅に降り立つと、山あいの静かな住宅地といった雰囲気です。

最近では、多くのゴルフ場や大自然の冒険テーマパーク「ネスタリゾート神戸」があることでも人気を集めていますが、三木市といえば古くから金物産業が盛んなことで知られています。伝統を学べる三木市立金物資料館や、道の駅みき内にあり道具を購入できる「金物展示即売館」も評判です。

三木の万能道具を手元に1本置く

そんな三木市で生まれ育ち、「100年先に残したいもの」があると話すのが、本サイト『ふるさとLOVERS』の製作に携わる株式会社エッグ・ 古田 武丸さんです。 “ふるさと愛” にあふれるメッセージを寄せてくれた古田さんに詳しく話を聞いてみると「伝統ある肥後守(ひごのかみ)ナイフ」を残したいとのこと。

肥後守ナイフは切れ味の良い折りたたみナイフですが、「三木では子どもたちにとって身近な道具で、学校に行くときにポケットやランドセルに入れている子もいたほどです。工作以外にも、木の枝を削ったり草を刈ったり、釣り糸を切ったりとさまざまな遊びに大活躍でした。今でも私のオフィスのペン立てには肥後守があって、大切な予定を書き込むための鉛筆を削っています」と教えてくれました。

高級鋼を鉄で挟んだサンドウィッチ構造

これが三木市平田の永尾かね駒製作所で作られた「肥後守ナイフ」です。実は、肥後守ナイフを現在も作り続けているのは、1社。永尾かね駒製作所しかありません。

ここではさまざまな材質の肥後守ナイフが作られていますが、特徴的なのは定番の「青紙割込(あおがみわりこみ)」です。「青紙」と呼ばれる島根県の高級・安来鋼(やすきはがね)を軟鉄で両側から挟み込んだ3枚のサンドウィッチ構造で、切れ味がよく、耐久性があり、研げば末永く使えます。刃の断面がV字型のため、利き手に関係なく使えるのも肥後守ナイフの特色です。

肥後守ナイフと永尾かね駒製作所の歴史は古く、始まりは明治27年(1894年)にさかのぼります。三木の金物問屋が九州から持ち帰った小刀をもとに、鍛冶職人の村上貞治さんと永尾かね駒製作所初代・永尾駒太郎さんが、刃と鞘(さや)の接合部で折りたためる構造を考案したのが、肥後守ナイフの始まりだそう。刃の根本に尾(チキリ)という突起をつけることで、親指ひとつで刃を広げられるようにしたのがポイントです。

三木金物なのに名前に「肥後」と入るのは、当時、取引先の多くが九州南部、特に熊本にあったからです。この新しいナイフを「肥後守ナイフ」と名付けて販売したところ、現地で大ヒット。明治43年には「肥後守」の商標登録がおこなわれ、三木洋刀製造業者組合の組合員だけがこの名を使えるようになりました。肥後守ナイフは全国に普及し、最盛期には登録製造業者が40軒を数える一大産業へと発展したのです。

刃物を「鍛えて」丈夫にする昔ながらの工程

さきほどの無人駅から徒歩5分のところにある永尾かね駒製作所の工房を訪れると、屋外にしゃがみ込み、昔と同じように火床で刃を加熱し、金槌を使って刃を1本1本手打ち鍛造(たんぞう/金属を金槌などでたたいて強度を高めながら成形する技術)する人に出会いました。

この人こそ、永尾かね駒製作所を5代目として守る永尾光雄さん。機械でプレスして作る商品が増えるなか、手打ち鍛造の肥後守ナイフは特別な存在です。

工房には年季の入った機械が並ぶ

工房内に多数の機械が並ぶようになった今でも、肥後守ナイフの作り方は、昔とそれほど変わっていません。小さなナイフの完成までに、およそ25の工程があります。まず、青紙と軟鉄の複合材を裁断。それを火で加熱し、鍛造。続いて機械で断面をV字型に研磨し、中心の鋼を出して形を整えます。

次は、焼き入れ。800~850℃のバーナーで真っ赤に焼いた刃を油に入れて急速に冷やします。これを繰り返して、切れ味を良くするのです。

真ちゅうや鉄でできた鞘には、肥後守の刻印を入れてから半分に折り曲げます。現在、肥後守の商標を使えるのは永尾かね駒製作所のほかにはありません。

でき上がった鞘に焼入れした刃をはめ込んで穴をつなぎ、「かしめる」、つまり固く取り付けたら、いよいよ仕上げです。砥石の種類を変えながら全面の研ぎを繰り返し、かしめの具合を検品・調整してやっと出荷へと進みます。

ナイフで鉛筆を削る小学1年生

これほど丁寧に作られた「肥後守ナイフ」の産業が、戦後の最盛期を経て大きな打撃を受けた理由は、カッターや電動鉛筆削りといった新たな道具の誕生に加え、昭和30年代に起こった「刃物追放運動」。全国の小学生の筆箱に当たり前に入っていた肥後守ナイフは消え、ほとんどの事業者が廃業に至ったのです。永尾かね駒製作所は4代目の時点で肥後守を製造販売するたった1軒の事業者になってしまいました。

いまでは、小学校で肥後守ナイフを使った教育をおこなっているのも長野県の池田町立会染小学校のみ。『会染小学校』と刻印が入った肥後守ナイフを1年生から手にする子どもたちは、上級生にナイフの使い方を教わり、ときに指をけがしながら鉛筆を削り、道具を最後まで大切に扱うことを学び、集中力を養うのだそうです。

肥後守ナイフがフランス人の目に留まった

不振が続く永尾かね駒製作所に転機が訪れたのは2011年のことです。フランスの専門誌に肥後守ナイフが取り上げられると、ヨーロッパを中心とする海外からの注文数が急激に伸び始めました。今では6、7名の職人がフル稼働しても製造が追いつかず、2022年3月の時点で、肥後守ナイフは注文から納品まで約1年6カ月待ちの状態なのだと言います。

永尾さんに海外で何が受けているのか、人気の秘密を尋ねると「それが、わっからない」と首をひねります。ただ、ソーシャルメディアでファンの声を拾ってみると、シンプルな作りとデザイン、切れ味の良さ、そしてこれだけの工程を経た日本製品であるにもかかわらず価格が手頃なことが喜ばれているようです。

時代に合わせたナイフで需要を掘り起こす

伝統を守りながら、時代に合わせた新しいナイフを作りたいという永尾さんは、2年に1アイテム以上は商品を増やしています。クラウドファンディングで折りたたみアウトドア包丁を製作したり、カナダのデニムメーカーとコラボ商品を作ったり、「いろんな人の用途にささる商品を開発したい」と言います。

働き手の不足、出回る模倣品など、乗り越えなければならない壁はまだあります。しかし、事業継承以来、苦労を重ね、ここまで来たからには日本で1軒、世界で1軒の肥後守ナイフメーカーをやめるつもりはありません。

一生物のナイフを、これからも作り続けたい

「もし手打ちの鍛造品をやめたら、数はもっと多く作れるようになるけど、それはしない。耐久性がまったく違うからね。付随事業や商品ラインナップは変わるかもしれないけど、スタンダードタイプの肥後守は絶対作り続けていきたい」と5代目は決意を語ります。

肥後守ナイフの良さは刃を研いだり、かしめの緩みを調節したりと適切にメンテナンスをすることで、一生物の付き合いができるところにあります。手作りゆえ、刃の形、研ぎ具合、かしめの硬さなどは1本1本微妙に違います。

ふるさとの肥後守ナイフを紹介してくれた古田さんは、「危険だから、手入れが面倒だからと肥後守ナイフのような刃物を子どもたちから遠ざけてきたことが、ものづくりの国・日本の緩やかな衰退を招いている気がしてならない」と言います。100年後の子どもたちには、世界に1つだけの肥後守ナイフを手元に置いて気軽に工作をしてほしい、そう願わずにはいられません。


※刃渡り6cm以上の刃物を正当な理由なく携帯することは、銃刀法で禁じられています。

施設情報はこちら

施設名
永尾かね駒製作所(Nagao Kanekoma Knife)

住所
兵庫県三木市平田311

電話番号
0794-82-1566

営業時間
9:00~17:00 

休業日
無休

※施設に属する情報に関しましては、予告なく変更となる可能性がございます。ご訪問の際は各施設のホームページ等で最新の情報をご確認いただきますようお願いいたします。

地域ナビゲーター

堀 まどか

近畿支部 翻訳・通訳案内士
堀 まどか

兵庫県生まれ、在住。阪神間の街と海と山の近さがお気に入り。通訳案内士(英語ガイド)として、また、地域と観光を切り口にしたフォトライターとして西日本のおもしろさを伝えています。好奇心さえあれば、地域の魅力をまだまだ発見できるはず。