
山梨県富士河口湖町
2022.11.11
日本各地のナビゲーターが、その土地に暮らす人たち(ふるさとLOVERS)からお聞きした「100年先に残したいもの」をご紹介するコーナー。今回は、長野県松本市にあるモーリス楽器製造株式会社の森中巧さんに、松本城をご紹介いただきました。
長野県の中心部にある地方都市、松本市にそびえる「松本城」。堀に囲まれた連なる5つのやぐらは、国宝に指定されています。
松本城を100年先に残したいと紹介してくれたのは、ギター製造をしているモーリス楽器製造株式会社の森中巧(もりなかたくみ)さん。森中さんは「地元にある国宝で、築城当時の趣を現代に残す、松本市民が誇れる場所です。お客さんを連れて行けば、絶対に喜んでもらえます」と話してくれました。
松本城をご案内いただいたのは、松本市教育委員会の文化財課、城郭(じょうかく)整備担当の研究専門員、小山淳一(こやまじゅんいち)さん。「松本城は松本市民にとって”あって当たり前”の場所。松本城天守の南に広がる松本城公園では、松本城を見ながらベンチでお昼を食べたり、ジョギングをしたりする人がいます。そして、市民にとってアイデンティティとなる場所です」と話します。
地域になくてはならないものとして愛されている松本城ですが、過去にはなくなりかける大きな危機が2度訪れたそう。その度に松本城を守ったのが、地域住民だったと言います。
松本城は、戦国時代の1504(永正元)年に造られたと言われています(当時の城名は「深志城」)。現存する「五重六階」の天守の中で日本最古です。「五重六階」とは、外からは五重に見えますが、実際に入ってみると隠れた階が存在し、6階建てになっている構造のこと。隠れた階は二重目の屋根の下にあり、窓のない階になっています。
「城に正方形や長方形の穴が空いているのはお分かりですか?狭間(さま)といって鉄砲を打つための穴です。現在のお堀は狭くなっていますが当時は幅が55〜60mありました。この距離は、当時の火縄銃を打った時に、相手を殺傷できる有効射程距離です」。堀は敵の侵入を防ぎながら、狭間から敵を攻撃できるようになっていました。
このように、松本城は鉄砲戦を想定して造られたお城。その由縁から松本城内では、火縄銃をはじめとする鉄砲の展示も見られます。
内堀の外側にある「松本城公園」は入場無料。ふらりと散歩を楽しむ方の姿も見受けられます。また「夜桜会」や「太鼓まつり」などのイベント会場や、近くの小学校が行うマラソンのスタート・ゴール地点、保育園児のお散歩コースにも使われています。
「松本市民にとって松本城は、観光地でありながら近しい距離にあるものです。違和感なく意識の中に根付いていると思います」と小山さん。
松本城周辺の景色も魅力。松本城天守の南東から建物を見れば、天気のいい日には北アルプスを背景に、黒漆の輝く松本城天守が映えます。「当時は景色まで計算したわけではないと思うんだけれど、奇跡的な風景が広がりますね」
また松本城天守の南西からカメラを向けてみれば、天守と赤い埋橋(うずみばし)が入る構図。同じく国宝の旧開智学校校舎もちらりと顔を見せます。
観覧券売場を通り黒門を抜けると見えるのが、松本城が直面した2つの大きな危機を救った人物、それぞれのレリーフです。
1つ目の危機は、松本城が売られてしまった時。江戸時代が終わると、松本城に住む武士がいなくなり、城の機能はいらなくなりました。保存や管理が大変な城は、藩によってはすぐ取り壊してしまうところもあったそうです。松本城天守も、ほかの城と同じく売られてしまい、解体される運命が待っていました。
そこで立ち上がったのが、地域の住民をまとめる副戸長であった市川量造(りょうぞう)です。福沢諭吉著の「西洋事情」に記載のあったウイーン博覧会の様子を参考に、松本城で博覧会を開くことを筑摩県知事に提案しました。
当時の松本城は、一般住民は入城したくてもできなかった場所。「高い建物なんて当時にはありませんから、多くの入場者が集まって、展示品と共に景色も楽しんだことでしょう。2カ月間の博覧会が行われましたが、その入場料などを資金として天守は買い戻されたといわれています。その結果天守は、壊されることなく残ることになったんです」。その後、博覧会は5回開催されますが、第1回目の開催は1873(明治6)年11月10日。その日を記念して松本市は2022年から11月10日を「松本城の日」と制定しました。
2つ目の危機は破損です。天守の傷みが目立ってきた際、修理工事を訴えたのが、当時は天守の目の前にあった松本中学校の校長、小林有也(うなり)です。松本天守(閣)保存会を立ち上げて、多くの人々から募金を集めて修理を行いました。
この2人のおかげで、今の松本城天守の姿があるのです。松本城天守の近代の恩人として、功績が讃えられています。
松本城はほかにも危機を経験しています。1700年代には隣りにあった本丸御殿が火事になり、あわや天守に燃え移ってしまうところでした。それにもかかわらず、天守自体に火が燃え移らなかったのは、「二十六夜神(にじゅうろくやしん)」様のおかげと言われています。最上階の天井中央に松本城の守り神として祀られています。
現代でも、多くの市民が松本城周囲の清掃活動や、天守の床磨き活動に参加し、常日頃から維持管理に努めています。「殿さまたちが守ってきた城を後世に残すため、市川さんや小林さんが住民代表として声を上げました。松本市に住む自分たちが城を守るんだという強い気持ちが、明治時代から脈々と今でも受け継がれてきているのだと感じています」と小山さん。
松本市から離れた方は、城を見ると故郷に帰ってきた実感がわく方も多いのだそうで、「普段は意識されていないけれど、今も昔も松本市民にとってのアイデンティティ。大切な存在です」と教えてくれました。
今回、松本城を紹介してくれた森中さんは「目にすれば、必ずや感動を得られる姿です」と話していました。確かに、四季を通して移りゆく周辺の山並みや木々の彩りと、松本城のコントラストは「素晴らしい」のひとこと。ふらっと立ち寄っただけでも、いつも同じ場所にどっしりと構える威厳のある姿に、松本市民としての誇りを感じました。
施設情報はこちら
施設名
国宝 松本城
所在地
長野県松本市丸の内4-1
電話番号
0263-32-2902
営業時間
12月29日~31日を除き無休
開場 8:30~17:00(最終入場 16:30)*時期により変動あり
※施設に属する情報に関しましては、予告なく変更となる可能性がございます。ご訪問の際は各施設のホームページ等で最新の情報をご確認いただきますようお願いいたします。
中部地方 地域ナビゲーター
竹中 唯
長野県在住。7年間の会社勤めを経て、フリーライター活動を開始。キャッチコピーを含めて、テキストに思いをふんだんに込められるように、努めています。