
山梨県富士河口湖町
2022.02.20
日本各地のナビゲーターが、その土地に暮らす人たち(ふるさとLOVERS)からお聞きした「100年先に残したいもの」をご紹介するコーナー。今回は、兵庫県丹波篠山市で米屋「阪本屋」を営む店主・阪本和成さんの「100年先に残したいもの」をご紹介します。
兵庫県丹波篠山市には丹波栗や黒枝豆などのおいしいものと並び、市民が誇るシンボルがあります。それが「篠山城」。篠山城には、一般にお城といえば思い起こされる、幾層にも重なってそびえる「天守」はありません。町のどこからでも目印になる大きな天守はないにもかかわらず、市民に親しまれ、愛されるのはなぜでしょう。
城のすぐ東側で、丹波篠山産の「越光(コシヒカリ)」にこだわって精米・販売する町の米屋「阪本屋」。店主の阪本和成さんは、甘くておいしいお米の次に自慢に思うのは篠山城だと話します。「田園風景もいいんやけどな。やっぱり篠山といえば篠山城かな。僕や息子は、お城の敷地内にある小学校にも通ったから。お堀のなかに学校が建ってるのは珍しいし、値打ちもある」。阪本さんは、篠山城と城跡内に立つ丹波篠山市立篠山小学校を100年先に残したいと願います。
篠山城が地域で愛される理由のひとつが、城下町で商売を営む多くの人にとってここが母校でもあることです。城内でもっとも高いところにある天守台から眺めると、眼下に見えるのが篠山小学校。昭和初期に、お城の内堀と外堀の間に建てられた赤屋根の木造校舎から、児童の声が楽しそうに響きます。
明治時代、廃城となった篠山城で唯一残った大書院(おおしょいん)が小学校の校舎として利用され、城跡内には旧藩主・青山家当主が建てた中学校校舎もあり、篠山城は教育の場として活用されていました。その後も子どもたちをはじめ、市民に開かれた史跡であったことから、町内にはかつてお城の石垣に登って遊んだ思い出を持つ人もいます。
篠山城は、江戸幕府を開いた徳川家康が、1609年(慶長14年)に篠山盆地の中心に築いた平山城です。豊臣氏の大坂城と豊臣ゆかりの西国大名を抑える拠点として、15カ国20の大名に労働課役を命じて、総勢8万人の働きによりたったの半年ほどで完成させました。
天守は後世に失われたわけではなく、もともと築かれたことがありません。天守は遠方から目立ってかえって標的になる恐れがあったことと、築城の名手と言われる伊勢国津藩主・藤堂高虎の縄張り(設計)により、天守が必要ないほどに十分な防御構造が築かれたことが理由と言われています。
本丸と二の丸は堅固な石垣で囲まれ、もし仮に敵軍が大手門を突破しても、鉄門(くろがねもん)に達するまでに設けられたふたつの「枡形(ますがた)」と呼ばれる方形の広場でその動きを封じる仕掛けが施されていました。
石垣は、滋賀・近江の穴太(あのう)から招かれた専門の石工の指導で、自然石をあまり加工せずに積む「野面(のづら)積み」で構築されました。体裁よりも、頑丈さに重きを置いて高く積まれたことがわかります。目を凝らすと、石垣の至るところにさまざまな刻印を見つけることができます。なんと、約150種類もの刻印が見つかっているのだそう。
多くは丸や四角を組み合わせた幾何学模様ですが、南側の埋門(うずみもん)付近の石垣には築城工事の陣頭指揮を執った普請総奉行・池田輝政を示す「三左之内(さんざのうち)」の刻印も残っているので、ぜひ探してみてください。
天守のない篠山城のシンボルであり、1番の見どころになっているのが、二の丸に立つ大書院という木造建築物です。入り母屋造りの大きな屋根や破風の下の木連(きづれ)格子を見ていると、京都の世界遺産・二条城で、将軍が上洛時に滞在するための二の丸御殿の遠侍(とおざぶらい)と外観が似ていることに気付きます。部屋割もよく似ているため、立派な二条城を篠山城が真似たと思われがちですが、建てられた時期は篠山城大書院のほうが先。
篠山城が完成したとき、初代城主として入ったのが篠山5万石を賜った松平康重です。大書院が1大名の書院としては考えられないほどの規模を備えていたのは、家康の侍女を母に持つ康重が、実は家康の子だったからではないかと言われています。加えて、篠山が京都と山陰道、あるいは京都と播磨方面をつなぐ交通の要衝であったこともその理由でしょう。大書院はその後およそ260年にわたり、国替えや年始の挨拶などの公式行事に使用されました。
明治の廃城令後も大書院だけは取り壊されずに残されていましたが、1944年の年始に焼失し、私たちが目にすることができる大書院は2000年(平成12年)に復元・再建されたものです。
大書院には「葡萄の間」「虎の間」「次の間」など全部で8つの部屋があり、そのうち最も格式の高い部屋が「上段の間」です。書院、違棚、帳台構、大床、天袋の5つがそろっている正規の書院造りで、藩主が一段上に座る造りになっています。普段はこの部屋に立ち入ることはできませんが、篠山城で結婚式を挙げたカップルは藩主気分で記念撮影をすることができるのだそうです。
篠山城には、何度訪れてもその時々で違った風情があります。春はソメイヨシノがぐるりと城壁を囲み、続いて八重桜や枝垂れ桜が彩りを添えます。
真夏の暑い盛りには、お堀に蓮の花が咲き誇ります。水面には提灯の明かりがゆらゆらと揺れ、浴衣を着て篠山の夏の風物詩・デカンショ祭に集まった人たちが三の丸広場で踊りの輪に加わるのです。
篠山城大書院をはじめとする4つの歴史文化施設で主任学芸員を務める古西遥奈さんは、隣接する市の出身ですが、地元丹波篠山の人の篠山城への愛着の強さにはいつも驚かされるといいます。
「デカンショ祭でも丹波篠山味まつりでも、地域の人にとって、なにかイベントがあって集まる場所といえば篠山城跡。本当に愛されているなと思います」。大書院に展示されている本物そっくりの甲冑(かっちゅう)は、丹波篠山市在住の甲冑工房「時」主宰の「時さん」こと時本昭男さんが塩化ビニールや特殊な厚紙で手作りした作品なんだそうです。
3年の歳月と12億円をかけて大書院が再建された背景にも、篠山の人たちの長年の願いがありました。復元にあたって、二条城の遠侍を参考にしたり、古絵図や古写真、発掘調査の成果を基に設計が進められたりしましたが、さらに貴重な資料として生かされたのが、大書院の元の姿を覚えている市民からの聞き取りでした。総工費の3分の1は市民の寄付で賄われ、寄付者の名前は杮葺き(こけらぶき)された屋根の薄板にしっかりと記されているのだそうです。
今年も秋になると、市立篠山小学校の6年生が「お城こどもガイド」としてデビューし、毎日校舎から眺めている篠山城の歴史を観光客に披露します。子どもたちが幼い頃から身近にある史跡を当たり前の風景として見過ごさず、その成り立ちを知り、多くの人に知らせる活動が、100年後の篠山城を守っていくことでしょう。
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施設名
篠山城大書院
住所
兵庫県丹波篠山市北新町2-3(史跡篠山城跡二の丸内)
電話番号
079-552-4500
開館時間
9:00~17:00 ※入館受付は閉館の30分前まで
休館日
月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月25日~1月1日)
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近畿支部 翻訳・通訳案内士
堀 まどか
兵庫県生まれ、在住。阪神間の街と海と山の近さがお気に入り。通訳案内士(英語ガイド)として、また、地域と観光を切り口にしたフォトライターとして西日本のおもしろさを伝えています。好奇心さえあれば、地域の魅力をまだまだ発見できるはず。