兵庫県豊岡市

人々の意志で復元された出石城下町の文化

2021.12.19

この記事では、日本各地のナビゲーターが、その土地に暮らす人たち(ふるさとLOVERS)からお聞きした「100年先に残したいもの」をご紹介します。今回スポットをご紹介いただいたのは、兵庫県北部の豊岡市出石町にて製麺所を営む、今森製麺所の今森重晴(しげはる)さんです。

まちあるきが楽しい但馬の小京都、出石町

「但馬の小京都」の別称を持つ、豊岡市出石(いずし)のまち。一歩足を踏み入れると、タイムスリップしたように風情ある城下町の町並みが広がり、建物や看板、道路の色から景観保全に配慮されていることが分かります。

歩いていると至るところにある「皿そば」の看板が目に飛び込んできました。出石は、約40軒の皿そば屋さんが立ち並ぶ関西屈指の蕎麦処でもあるのです。

信州上田藩から持ち込まれた蕎麦文化

蕎麦処となった歴史は、約300年前まで遡ります。時代は江戸中期のこと。出石城には、藩主のお国替えによって信州上田藩から新しいお殿様がやってきます。その際、藩主は信州からそば職人をお供に携えて、出石のまちへ蕎麦づくりの技法を伝えたのだそうです。

時を経て、関西屈指の蕎麦のまちへ

お国替えで信州上田から藩主がやってきて300年余り。藩主が持ち込んだ蕎麦づくりの技術と文化は、今でも継承されています。城下町を少し西へ進んだ場所で製麺所を営む株式会社今森製麺所の2代目店主・今森重晴さんも、そんな蕎麦文化を今に伝える一人。今森さんに「100年先に残したいもの」を聞いてみたところ「城下町の町並みと蕎麦を味わえる文化がこれからも残ってほしい」とのこと。

明治以降の廃藩置県によって藩主不在となった出石ですが、いまも城下町らしい町並みと蕎麦の文化が守られているのはなぜでしょう?この理由を探るまち歩きへ繰り出しました。

今回のまちあるきでは、写真のNPO法人但馬國出石観光協会・森垣康平さんをはじめ、出石のまちづくりに携わる4名の皆さんに案内してもらいました。筆者にとって何度も訪れたことがある出石でしたが、ガイドをしてもらって初めて知る町の歩みに心惹きつけられました。

町民の意志によって復元された城跡

城下町のシンボルといえば、やっぱりお城。築城から明治までの270年間、地域の本城として威厳を誇った出石城。趣きある城跡の風景ですが、実は多くの建造物が昭和から平成初期に復元されたものだと言われ、びっくり。お城の石垣のように当時のまま現存する建造物もある一方、城や門などは明治期の廃城令によって取り壊されてしまったそうです。

その後、時を経て、まちの人々によって城跡に建物を復元する取り組みが始まりました。昭和43年、市民の寄付によって、櫓(やぐら)が建てられます。さらに平成6年には登城門が復元され、四季折々を彩る樹木が植えられたことで、今では石段を登りながらハイキングが楽しめる人気スポットになっています。

44年の時を経て復元された近畿最古の芝居小屋

町の人々の意志によって復元された出石のシンボルは、お城にまつわる建造物だけに留まりません。今や城下町の観光拠点の名所となっている近畿最古の芝居小屋「永楽館(えいらくかん)」も復元された建物のひとつです。

藩主の家紋「永楽銭」にちなんだ名前を持つ芝居小屋は明治34年に建てられ、歌舞伎、寄席、落語、映画など時代に沿った娯楽を人々へ提供する存在でした。しかし、テレビが普及し娯楽が多様化した昭和の中頃、ついに閉鎖されることになったのです。

板ひとつ、梁一本、忠実に復元したプロジェクト

閉鎖後は倉庫になり、経年劣化が進んでいた永楽館。そこで立ち上がったのは「子どもの頃、あの場所で映画を見て楽しかったんだ」と当時の思い出を持つ人々でした。耐震補強といった、時代に沿った技術を加えながら原型を忠実に再現する工事を行い、歴史と時代にあった技術が融合した再建が果たされました。

そして平成20年に営業を再開し、いちやく人気施設に。とくに上方歌舞伎の片岡愛之助さんが訪れる行事では、人口1万人弱の町に約4万人の人々が集まるそうです。歌舞伎の演目を地元風にアレンジするなど「まちの魅力を再発見する文化拠点」として大切に継承されていることが伝わりました。

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施設名
出石永楽館

住所
兵庫県豊岡市出石町柳17-2

電話番号
0796-52-5300

営業時間
9:30~17:00(最終入館時間16:30)

休業日
毎週木曜日(12/31、1/1休館)

※施設に属する情報に関しましては、予告なく変更となる可能性がございます。ご訪問の際は各施設のホームページ等で最新の情報をご確認いただきますようお願いいたします。

皿そばのルーツをつくった出石焼

続いて、今森さんが100年先まで残したいと語る「出石の皿そば文化」を深く知るために、出石焼の窯元「永澤兄弟製陶所」を訪れ、窯元の5代目を継承する永澤仁(ひとし)さんにお話を伺いました。

約50軒のお店が独自の製法でこだわり蕎麦を提供するそばの町・出石ですが、「白い小皿に少しずつ盛りつける」といった蕎麦の振る舞い方が「出石皿そば」の共通点として定義されています。

白磁焼で食べる皿そばスタイルが観光の主役に

皿そば文化の背景を探ると、時代は江戸後期にさがのぼります。出石では地元の山から陶石が発掘されたことをきっかけに白磁の焼き物が始まりました。そして地元では、白い小皿に蕎麦を少しずつ盛りつけて食べる皿そばスタイルが親しまれるようになり、その独特な様式が観光客の注目を集めました。皿そばの食体験を求めて観光客が訪れるようになり、現代に至るというのです。

江戸時代中期に藩主が持ち込んだ、蕎麦作りの技術。そして、江戸後期から藩をあげて技術追求に注力した白磁焼の工芸技術。ふたつの技術が合わさった町で皿そば文化が生み出され「まちあるきをしながら、皿そば巡りを楽しめる城下町」が形成されてきたのですね。

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施設名
有限会社 永澤兄弟製陶所
ギャラリーショップ&工房

住所
兵庫県豊岡市出石町内町92-1

電話番号
0796-52-2155

営業時間
10:00~16:00

休業日
年末年始のみ

※施設に属する情報に関しましては、予告なく変更となる可能性がございます。ご訪問の際は各施設のホームページ等で最新の情報をご確認いただきますようお願いいたします。

選び取られて残った「出石らしさ」

藩主のお国替え、廃藩置県と廃城令、娯楽の変遷など、城下の風景が大幅に変わる転換期は多くあったように思います。しかし、それでも城下町の風景と文化が残る背景には城跡や芝居屋を復元したり、まちの人々が親しんだ食文化を観光に生かしたりと「この町らしい在り方を選び残してきた意志」を感じるのです。

伝統が残ってきた裏側には、小さな革新の物語が連なっているもの。「残すべき本質的な価値は何か」と問い続ける出石の街並みは、次の100年でどんな変化を遂げるのでしょうか。「次はどのお蕎麦屋さんに行ってみよう?」と計画を立てつつ、何度も通いたくなる城下町なのでした。

地域ナビゲーター

老籾 千央

近畿支部 地域ナビゲーター
老籾 千央

京都府最北端のまち・京丹後市出身、在住。森と林業について学び、京阪神エリアではたらいた後、10年振りにふるさとへUターン。現在は有機農家として稲作、お米をつかったお菓子を販売する傍ら、ライターや編集者として京丹後の暮らしについて発信しています。