北海道網走市

塀の中に秘めた開拓史を、今に伝える博物館

2021.11.14

この記事では、日本各地のナビゲーターが、その土地に暮らす人たち(ふるさとLOVERS)からお聞きした「100年先に残したいもの」をご紹介します。今回スポットをご紹介いただいたのは、北海道網走市で地元の産品から魅力的な商品を開発する「東京農大発バイオインダストリー」営業企画部マネージャーの合浦明人さんです。

網走は刑務所と流氷のまち?

「網走といえば、なに?」と質問すれば、多くの人から「刑務所」か「流氷」という答えが返ってくるはずです。網走に対して「最果てのまちに押し寄せる流氷、厳寒の牢獄で服役する囚人たち」という、暗いイメージをお持ちの方もいるかもしれません。

でも、実際に網走を訪れてみると、そんなイメージとのギャップに驚かれることでしょう。夏は澄み渡った青空の下、街路では様々な花が咲き乱れ、郊外に出れば美しい田園風景が広がっています。冬の流氷に覆われたオホーツク海の光景は、時に幻想的なまでに美しく、国内のみならず海外からの多くの観光客も魅了してきました。しかし、網走のまちが刑務所とともに発展してきたのも、歴史上の事実です。

網走の牧場で飼育されている巨大な鳥のエミューから、モイスチャーオイルやどら焼きなどの商品を開発販売する「東京農大発バイオインダストリー」の合浦明人さんが「100年先に残したいもの」に推薦してくださったのは「博物館 網走監獄」です。

「この博物館を定年退職後に、今の会社に転職しました。個人的にも思い入れの深い博物館では、北海道開拓と塀の中に秘められた歴史を知ることができます」という合浦さんがおすすめの「博物館 網走監獄」を訪ねてみました。

鏡橋を渡って「博物館 網走監獄」へ

実際の網走刑務所は網走川の向こう岸に設置されているので、必ず橋を通らなくては出入りができません。「博物館 網走監獄」でも同様に「流れる清流を鏡として、我が身を見つめ、自ら襟をただし目的の岸にわたるべし」という想いを込めて、その名が付いた「鏡橋」を渡って入館受付へと向かいます。

日本で唯一、刑務所がテーマの博物館

博物館に入館すると、忠実に再現されたレンガ造りの網走刑務所の正門が出迎えてくれます。

「1983年に開館した『博物館 網走監獄』は旧網走刑務所にあった歴史的な建造物を展示する日本で唯一の刑務所をテーマにした野外博物館です。館内には8棟の重要文化財に指定された建物がありますが、すべてが網走の厳しい気候と風雪に耐えてきた木造の行刑建築です」と話すのは、学芸員で副館長の今野久代さん。

網走刑務所から貴重な建物の移築と復元を続け、約20年をかけて現在の博物館の形が出来上がったそうです。

モダンな庁舎と網走刑務所裏門

レンガ造りの正門をくぐると、網走監獄の庁舎が見えてきます。細部に意匠が施されたモダンな外観の庁舎は、明治時代の典型的な官庁建築の様式で、1987年まで網走刑務所の管理部門の建物として使われていました。

重要文化財の庁舎の中には、刑務所が関わった北海道開拓の歴史を解説し、博物館の見どころを紹介する展示コーナーがあるので、ここに立ち寄ってから「博物館 網走監獄」を巡りましょう。

この庁舎の近くでは、監獄内にあった工場で焼き上げたレンガで作られた裏門が見られます。70年間に渡って網走刑務所にあった裏門は、微妙に色合いの異なるレンガが独特の表情を醸しだしています。受刑者たちはこの門を通り、刑務所の外にある作業場に出かけていきましたが、塀の外の空気にふれた時に束の間の解放感を味わったそうです。

北海道開拓の礎となる道路工事

明治維新後、富国強兵とロシア帝国の南下による脅威に備えるため、政府は北海道の開拓を重視。まだ未開の地だった北海道を開拓するには、人や物の流れを円滑にする道路の整備が必要不可欠でした。

1890年に開設された網走刑務所の大きな目的は、網走と旭川を結ぶ中央道路の開削工事の際に受刑者を労働力とすること。翌年から始まった工事は1000人以上の受刑者を投入して行われ、わずか8カ月間で網走から北見峠までの約160キロ区間を開通させました。しかし、未開の原野の道なき道を進み、ヒグマにも怯えながらの過酷な労働環境下の道路工事では、怪我人や栄養失調になる受刑者が続出し、死者の数は200人以上にも及んだといわれています。

迫力ある映像と数々の資料を展示する監獄歴史館

監獄歴史館には中央道路の工事に関する数々の資料や、受刑者の暮らしぶりなどが分かる展示がされています。

館内にある「赫い(あかい)囚徒の森」体感シアターでは音と光、三面のスクリーンを駆使して中央道路の工事の様子を再現。迫力ある7分間の映像を見ていると、当時の過酷な工事の現場にタイムスリップしたような錯覚に陥り、何気なく車で走っていた北海道の道路に監獄の受刑者たちの苦難の歴史が隠されていたことが体感できました。

自給自足を目指した農園刑務所

北海道の開拓と中央道路の工事に大きく貢献した網走刑務所は、自給自足を目指した農園刑務所でもありました。網走郊外にある広大な刑務所の農園に建てられた二見ヶ岡刑務所支所は、出所の時期が近い農業に従事する受刑者が収容されていた建物でした。支所の最も古い部分は1896年に建てられ、現存する日本最古の木造刑務所建造物として重要文化財に指定されています。

網走刑務所の農園で得られた寒冷地農業に関する知識は、現在の網走の主幹産業のひとつである農業の発展にも活かされ、まちの礎となりました。

五翼の舎房と中央見張所

中央見張所を中心として、受刑者を収容する五つの舎房が放射状に延びていることから「五翼放射状房」とも呼ばれる建物は「博物館 網走監獄」を代表する重要文化財です。1912年に建造された舎房は、72年間に渡って網走刑務所で使用され、1985年に博物館へと移築されました。

扇の要に配置された八角形の中央見張所からは、放射状に広がる5つの舎房がすべて見渡せます。機能的に設計された舎房には最大で700名の受刑者を収容できました。

舎房に立って、天井を見上げると天窓から柔らかな光が差し込み、鉄筋による小屋組と年月を経て黒光りする木材による造形の美しさに目を奪われます。この光景を毎日のように見ていてた受刑者たちは、何を想ったことでしょう。

そして、天井をよく見ると、ひとりの脱獄者が!

吉村昭の長編小説「破獄」のモデルにもなった伝説の脱獄者については「博物館 網走監獄」の展示物から詳しく知ることができますよ。

見学の終わりに“監獄食”を

数々の貴重な建物が移築復元された広大な博物館の中を巡ると、おなかも空いてくるはず。そんな時は「監獄食堂」に、ぜひお立ち寄りください。

ここでは、現在の網走刑務所で提供されている昼食を再現した“監獄食”が味わえます。そのメニューは麦飯と焼き魚(ホッケかサンマを選択可)、フキの煮物、山芋の短冊、みそ汁。実際に食べてみると、メインディッシュのホッケは脂がのっていて食べ応えがあり、ヘルシーな麦飯はいわゆる「くさい飯」ではなく、すべてが想像以上に美味でした。監獄食は「博物館 網走監獄」でしか味わえない網走グルメです。

塀の中に秘められた開拓史

「高倉健主演で大ヒットした映画の舞台にもなった網走監獄とは、どんなに恐ろしい場所だったんだろう」という興味本位で入館した「博物館 網走監獄」。しかし、実際に館内を巡ってみると、刑務所と受刑者たちが北海道の開拓に果たした役割がよく理解でき、現在の網走での暮らしが多くの人々の尊い犠牲のうえに成り立っていることを実感しました。

網走の名勝、天都山の麓に広がる「博物館 網走監獄」は、貴重な建造物と数々の展示によって、塀の中に秘められた歴史を今に伝える博物館でした。

施設情報はこちら

博物館 網走監獄

北海道網走市字呼人1-1

0152-45-2411

9:00 ~17:00(※入館は閉館時間の1時間前まで)

年中無休

※施設に属する情報に関しましては、予告なく変更となる可能性がございます。ご訪問の際は各施設のホームページ等で最新の情報をご確認くださいますようお願いいたします。

地域ナビゲーター

桑原 雅彦

北海道支部 フリーライター・編集者
桑原 雅彦

フリーライター、エディター。大学生の時にバイクツーリングで訪れた北の大地に魅せられ、1994年、生まれ育った大阪市から北海道網走市に移住。道内各市町村の観光パンフレットや町勢要覧など、印刷物の制作を主に担当。生産者の方々の熱い想いや、商品の背景にあるストーリーの数々をお伝えしていきたいです。