福島県浪江町

浪江の町とひとを見つづける「請戸海岸」

2021.07.08

日本各地のナビゲーターが、その土地に暮らす人たち(ふるさとLOVERS)からお聞きした「100年先に残したいもの」をご紹介するコーナー。今回は、昨年テレビ番組でも特集された福島県浪江町の「鈴木酒造店」の5代目蔵元・鈴木大介(すずきだいすけ)さんより、「請戸(うけど)海岸」をご紹介いただきました。

日本で一番海に近い酒蔵

「請戸海岸のすぐ近くで酒造りをしていたころは毎朝、朝日に照らされた海を見てから仕事にあたっていました」と懐かしそうに話すのは、福島県浪江町の鈴木酒造店の5代目蔵元であり杜氏(日本酒の蔵で酒造りの一切を取り仕切る責任者)の鈴木大介さん。

「夜明けよりも早い時間から、海岸の横の漁港から漁船のエンジン音、無線での話し声が寝ている布団の中にまで聞こえてきて、朝を知らされたものです」と話す大介さんが100年先に残したいものは、かつての酒蔵の目の前に広がっていた「請戸海岸」です。江戸時代から続く鈴木酒造店の酒蔵は、海からわずか50メートルの距離にありました。

漁港のすぐ隣で醸造する「漁師酒」

鈴木酒造店を代表する日本酒「磐城壽(いわきことぶき)」は、米の味が濃厚で酸味もある、濃淳な味わい。請戸漁港の漁師たちには、一定以上の漁の売上があると「磐城壽」の一升瓶を贈られるという風習があり「酒になったか?」が漁師たちの合言葉だったそうです。

そんな磐城壽なので、地元で上がる魚=スズキやアイナメなどの白身魚、シラウオなどを合わせるのがぴったりだと大介さん。生粋の漁師酒だったのです。

すべてを流した東日本大震災の大津波

鈴木酒造店のあった浪江町請戸地区は、家と家との距離がとても近く、人との距離も近い町でした。「嘘偽りを感じないまっすぐな人が多く、心の距離がすごく近かった」と語る大介さん。町の運動会や野球大会などがあると、漁師町らしく大漁旗を応援として掲げるような、活気あふれる、血気盛んな人が多かったといいます。

太平洋に面した請戸海岸は、東京電力福島第一原子力発電所(以下、福島第一原発)が肉眼で確認できる距離にあります。2011年3月11日に発生した東日本大震災と福島第一原発事故は、福島県浪江町にも大きな被害を与えました。

今まで体験のしたことない大きな揺れの後、津波を警戒した大介さんは、家族と従業員を避難させ、自身は消防団としてすぐさま避難を呼びかけに町を走りました。

震災で亡くなった人たちの生きた証を残すために

しかし震災による津波は、太平洋に面する請戸地区を丸ごと流しました。鈴木酒造店も例外ではなく、酒蔵ごとすべてが流されてしまいました。

大介さんは翌日12日の午前中も、流された住民を捜索するため町に残りましたが、同日に発生した福島第一原発の水素爆発により、捜索は打ち切りに。「あの時、捜索に行けなかったことを今でも悔やんでいる」と苦しそうに語りました。

この震災で、鈴木酒造店の取引農家の1つは、家族全員が亡くなってしまったそうです。「助けられなかった人たちの生きた証を残すためにも、酒を造り続けなくてはならない」、そう大介さんは力を込めました。

残っていた酵母 再開した酒造り

震災から3日が経った日の早朝に、家族のいる避難先に向かった大介さんは、県内川俣町の避難所に立ち寄りました。大介さんを見つけた浪江町の人たちは、まだ雑然とした避難所で「また浪江の酒をつくってほしい」「また磐城壽で一杯やりたい」と次々に声をかけてきたそうです。その言葉が「酒造りを諦めるわけにはいかない」という心の支えになったと話します。

酒蔵だけでなく、酒造りの資料やデータのすべてが流されてしまった鈴木酒造店でしたが、4月に震災1か月前に預けていた山廃仕込み用の酵母が、福島県の研究施設に残っていることが分かりました。県内の酒蔵の協力を得て、その酵母を使い、わずか2000本ではありましたが7月中旬に「磐城壽」を醸造することができました。販売当日には、避難していた浪江の人たちが行列を作り、「浪江の酒」を買いに訪れました。

避難中に出産したので地元の酒でお祝いしたいという人、避難先でお世話になった人たちに浪江の酒でお返しをしたいという人……。そんな浪江の人たちを見た大介さんは改めて、なんとしてももう一度酒造りを再開したいという思いを強くし、蔵探しを続けました。「いつか必ず、浪江の地で酒造りを再開する」という決意とともに。

山形県での酒造りが、浪江での復活をつなげてくれた

県内での酒造り再開を目指した鈴木酒造店ですが、この地で一からやり直すには膨大な時間がかかってしまうことが判明しました。ですがなんとか、避難先の山形県長井市で廃業を考えていた酒蔵(写真)を買い取ることに成功し、同年の11月には無事酒造りを再開することができました。磐城壽を扱ってくれるお店や地元の人に、震災から1年をあけずに酒を届けることで、酒造を存続できたのです。

2021年3月に浪江町に酒蔵を再建するまでの9年間、鈴木酒造店は長井市で「磐城壽」をはじめとする酒造りを続けてきました。気候や水の質が違う土地で「磐城壽」の味を保ち続けるには様々な試行錯誤がありました。

「山形での経験がなければ、今の『磐城壽』はない。本当に感謝している」と話す大介さん。9年間酒造りを続けてきた長井市は、鈴木酒造店の第2の故郷といっても過言ではありません。

2017年3月に浪江町の避難指示が一部解除され、住民たちが町に戻れるようになりました。2020年8月には、町内に「道の駅なみえ」がオープンし、鈴木酒造店は敷地内に新しい酒蔵を開業することとなりました。すでに浪江町での酒造りも始まっていますが、今後も、浪江町と長井市、2拠点で酒造りを続けていくそうです。

浪江町に戻った酒蔵 「ただいま」の酒

2021年3月20日、大震災から実に10年ぶりに、浪江町で鈴木酒造店の酒蔵が開業しました。
酒蔵に併設してオープンした「なみえの技・なりわい館」では、鈴木酒造店で販売している日本酒、すべてがラインナップされています。

オープンに合わせてつくった日本酒は、残っていたわずかな震災前の酒を仕込み水に、浪江の米、浪江の水を使い、長井市と浪江の地で醸造しました。「ただいま」という文字と、大介さんの笑顔がラベルです。

新しい酒蔵で、これから手探りでつかんでいかなくてはならないという思いから、当初決めていた名前は船出の意味を持つ「機関始動」。しかし、ラベルに大介さんの顔が印刷されると聞いた家族が「ただいま」と名前を決めたのだそう。オープン当日には、2つの名前のお酒が並びました。

浪江町に戻って目指すもの 請戸海岸への思い

「浪江町でつくったお酒は、やはり浪江ゆかりの人に飲んでもらいたい」と大介さん。
震災から10年が経過した2021年4月現在、浪江町に戻ってきている人は、震災前の約5%です。「でもどこにいても、浪江の人であることには変わりがない。浪江の人たちが集まった時に、そこに自分たちの酒があればうれしい」と話します。

浪江の酒に合わせるには、やはり浪江の魚。浪江町の漁港であり、鈴木酒造店のすぐ隣にあった請戸漁港も、2020年4月に再開しました。

「新しく作られた防波堤に上がり海を見ると、辛い記憶もよみがえるが、復興に向かっていると感じられる。また、陸側はまだ更地が広がり痛々しい光景だが、確実に前へと進んでいるのが感じられる」と大介さん。

「海岸から見える町の景色は変わってしまったけれど、180度以上見渡すことができる水平線、潮風を感じながら阿武隈山系の変わらぬ峰を見ると安心する」と話してくれました。「震災前の暮らしや文化を大切にしながら、震災後の浪江の暮らしを、浪江の酒と浪江の食を通じて発信していきたい」と前を見つめます。

※写真 熊田 誠(1枚目ポートレート、山形県長井市の酒蔵写真はふるぽ提供)

施設情報はこちら

道の駅なみえ なみえの技・なりわい館
福島県双葉郡浪江町大字幾世橋字知命寺60
0240-23-7121
10:00~18:00
毎月最終水曜日定休

請戸海水浴場
福島県双葉郡浪江町請戸
※現在、東日本大震災・福島第一原発事故により、立ち入りが制限されています

請戸漁港(請戸荷捌き施設)
福島県双葉郡浪江町請戸東向
※港内への立ち入りは可能です

地域ナビゲーター

山根 麻衣子

東北支部 福島県の「今」を伝えるローカルライター
山根 麻衣子

福島県双葉郡在住。2014年に東日本大震災復興支援業務のため、神奈川県横浜市から移住。
移住して出会った、福島県浜通り(沿岸地域)に思いを持つ人たちのインタビュー、ローカルニュースを取材しながら、震災と原発事故復興の最前線である福島県浜通りの変化を見つめ続けることをライフワークとしています。
フリーライター、インターネットメディアいわき経済新聞編集長。