沖縄県宮古島市

島民の歩みを学べる宮古島市総合博物館

2021.06.10

この記事では、日本各地のナビゲーターが、その土地に暮らす人たち(ふるさとLOVERS)からお聞きした「100年先に残したいもの」をご紹介します。今回スポットをご紹介いただいたのは、沖縄県宮古島市でホテル業を展開する「シギラセブンマイルズリゾート」の運営企画統括部・支配人の富森枝里子さんです。

島の文化、歴史、民俗を学べる「宮古島市総合博物館」

美しい風景や自然を体いっぱいで感じられるのが宮古島旅行の醍醐味。ですが、ビーチや絶景スポットと同じく、宮古島に着いたらぜひ立ち寄っていいただきたい場所があります。それは、「宮古島市総合博物館」。宮古島の歴史や文化に関する展示が数多くされ、島についてのいろいろなことが学べる施設です。宮古諸島の歩みを知ってから島の各地域を巡ることで、景色や史跡をより深く楽しめるはずです。

推薦するのはシギラセブンマイルズリゾートの富森さん

今回、100年先に残したいものとして「宮古島市総合博物館」を挙げてくれたのは、シギラセブンマイルズリゾートの運営企画統括部販売促進支配人・富森枝里子さん。約100万坪の敷地をもつシギラセブンマイルズリゾートは、宮古島随一のリゾートシティ。それぞれ表情が違う8つのホテルを擁するほか、温泉やゴルフ場、さまざまなジャンルのレストランなども備えています。

そんなリゾート施設で働く富森さんが、宮古島の生活の中で、島の自然や文化に触れ、その豊かで多様性ある独自の文化を残したいと考えたそうです。

「島にはいくつもの集落があり、言語や文化も異なります。そんな文化を残そうと、年長者から若い代につなげるための行動力にはいつも驚かされます。受け継がれる伝統を目で見て、体感することで表現することができないほどのパワーをもらえるんです」と富森さんは語ります。

宮古島市総合博物館を館長と学芸員さんに案内してもらいました

さっそく宮古島市総合博物館へ訪問すると、館長の友利浩幸(ともりひろゆき)さんと学芸員の與那覇史香(よなはふみか)さんが館内を案内してくれました。最初に紹介してくれたのは、石造りの塀と階段状になった博物館の建物外観。宮古島の英雄・仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみゃ)の墓がモチーフになっており、とても威厳のある雰囲気が漂います。ちなみに、仲宗根豊見親はかつて宮古島を治めていた首長で、市街地にある本物の墓は観光名所ともなっています。

館内は「歴史・民俗」と「自然・美術工芸」の2つのコーナーに分かれます。歴史資料だけでなく古民家のレプリカやサバニ(小さな木造の船)、宮古島に生息する生き物たちの剥製なども展示されています。視覚的な工夫がいたるところに見られるので、子どもから大人まで世代を問わず楽しめるのも、宮古島市総合博物館の魅力です。

特に展示室に入って早々現れる「パーントゥ」の展示は、この博物館の一番人気。パーントゥとは、体に泥とつる草をまとった厄払いの神。宮古島の島尻地区では、旧暦の9月になるとこのパーントゥが集落を練り歩きます。古くから伝わる伝統行事で、2018年にはユネスコ無形文化遺産に登録されました。

いにしえの宮古島に思いを馳せる

宮古島で人が住んでいた最も古い時期は、約2万6000年前。ピンザアブ洞穴という洞窟から人やシカの骨が見つかっています。そこで発見されたシカは「ミヤコノロジカ」という固有種で、すでに絶滅してしまいましたが、博物館には骨の骨格標本のレプリカが展示されています。

その後に、宮古島に人が住んでいたことがわかっているのは2800年前ごろ。本土では縄文時代や弥生時代にあたります。当時、土器や石器が使われていたことは、歴史の教科書で学んだ通り。しかし、宮古島ではそのような道具は見つかっていません。というのも、宮古島の地層はサンゴが隆起した琉球石灰岩でできており、琉球石灰岩は比較的柔らかいことから道具を作るのにはあまり向いていないそう。そのため古くから宮古島では、シャコガイなどの海由来の素材を使って生活用品を作っていました。

戦乱、自治、支配。揺れ動く中世の宮古島

その後13~14世紀になると、島内各地の豪族たちによる闘争が活発化します。「本土の戦国時代のような時代でした。このころは海外と交易をしていたこともわかっています」と與那覇さんは言います。そして、戦乱期をへて「目黒盛豊見親(めぐろもりとぅゆみゃ)」が宮古島を統一。博物館外観のモチーフになっている「仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみゃ)」はその子孫にあたります。豊見親とは宮古の首長を表す敬称で、このころから宮古島では自治が始まるようになりました。

1600年前後、江戸時代に入ると琉球列島が薩摩藩の支配下に置かれ、宮古島でも重税が課せられます。当時の産業は漁業や農業が中心で、農作物や宮古上布(宮古島の伝統織物)を年貢として納めていたそうです。

厳しい自然と闘ってきた宮古島

一方で、宮古島の歴史は、自然との戦いの歴史でもあります。250年前に起きた「明和の大津波」は島に大きな被害をもたらし、くわえて毎年到来する台風の災害も想像を絶する大変なものだったそうです。かつての宮古島の民家は茅で建てられていたため、台風が来るたびに壊れたり、倒壊したりしたことでしょう。

また、山や川のない宮古島は、生活用水や農業用水の確保にも苦慮しました。今では地下ダムが造られ、農業用水を安定して共有できるようになりましたが、当然昔はそのような仕組みはありません。井戸を掘ったり雨水を溜めたりと、知恵を凝らしながら生活をしていたそうです。

宇宙のエネルギーを感じさせる天井画

さらに歴史的資料だけでなく、学芸員の與那覇さんがぜひ見ていただきたいというのが「渦」というタイトルの天井画。宮古島の代表する画家たちの合作で、宇宙や台風など自然のエネルギーがテーマだそう。おどろおどろしい雰囲気をもちながらも、どこか明るく、どこか懐かしさのある作品です。島民の自然に対する「畏怖の念」を感じることができ、ここからも宮古島の人々の自然観がみてとれます。

博物館ではこういった宮古島の人々の歴史・文化・自然の一端を知ることができます。今でこそ南国リゾートとして人気の高い場所ですが、それも先人たちが紡いできた歴史があってこそ。それを踏まえて宮古島の美しい風景を眺めてみると、まったく違ったように見えてくるから不思議なものです。

もう一つの100年先に残したいもの

シギラセブンマイルズリゾートの富森さんは「100年先に残したいもの」をとして、「オトーリ」と「宮古方言」も挙げてくれました。オトーリとは宮古島で行われる飲酒の風習のこと。やり方は、まず「親」が口上を述べて杯(泡盛の水割りであることがほとんど)を飲み干します。その後、隣の人に順番が移り、その人が口上を述べてお酒を飲みます。これを皆に回るまで続けます。口上は、思いのたけやその会の意義など、参加者全員が発言するので、自然と場に一体感が生まれます。さらに、口上を通じて、今まで知らなかったその人の考えを知れるのもオトーリの魅力です。

また、宮古島の方言は「みゃーくふつ」とも呼ばれ、たとえば「ありがとう」は「たんでぃがー、たんでぃ」、「うつくしい」は「あぱらぎ」を意味します。ユネスコの世界の消滅危機言語のひとつに数えられ、宮古諸島でも島ごと、地域ごとに方言は異なります。「沖縄本島でも北と南では言語が違います。宮古島や八重山もそれは同じ。各地域の文化やしきたりを守るための一つと聞いた時には、本島に驚かされました」と富森さん。

宮古島の文化や人を知って、豊かな旅を楽しもう

最後に、館長の友利さんに「宮古島の人の性格」を伺ったところ、次のように教えてくれました。「宮古の人は、助け合いの精神と我慢強さをもっています。自然と隣り合わせの生活では、島民同士の協力が不可欠です。時に家が吹き飛ばされ、水不足にも悩まされながら、それでも先人たちはこの地で生活を続けてきました。そういったなかで心の強さ、豊かさが育まれてきたのではないでしょうか」。

その土地の文化や人を知れば、旅がより有意義なものになるはずです。そこから、人生を変えるような出会いや、今まで考えもしなかった発想が生まれるかもしれません。宮古島に訪れた際には、ぜひ宮古島市総合博物館に足を運び、島の歴史や文化を肌で感じてみてくださいね。

施設情報

施設名
宮古島市総合博物館

住所
 宮古島市平良字東仲宗根添1166-287

電話番号
0980-73-0567

営業時間
午前9時~午後4時30分(入館は午後4時まで)

休館日
毎週月曜日(月曜祝日の場合は翌火曜も休館)、祝日、12月29日~1月3日、
特別な事情により、館長が休館の必要を認めたとき

※施設に属する情報に関しましては、予告なく変更となる可能性がございます。ご訪問の際は各施設のホームページ等で最新の情報をご確認いただきますようお願いいたします。

地域ナビゲーター

小林 悠樹

沖縄支部 地域ナビゲーター
小林 悠樹

宮古島在住フリーライター。出身は神奈川県藤沢。一橋大学卒業後、冷凍食品メーカーに入社。2016 年結婚を機に宮古島へ移住。専門分野は、地方移住、新しい暮らし方・生き方、観光など。著書は『移住にまつわる30 の質問』『英語で読む 沖縄』。モットーは「わかりやすく、ロジカルに、誠実に」。夢はポルトガル移住。