
岩手県奥州市
2021.06.06
日本各地のナビゲーターが、その土地に暮らす人たち(ふるさとLOVERS)からお聞きした「100年先に残したいもの」をご紹介するコーナー。今回は、四国支部ナビゲーター ハタノエリさんご自身の「100年先に残したいもの」として、愛媛県松山市の「坊っちゃん列車」をご紹介します。
まちを走り、まちの表情をつくるバスや電車といった公共交通機関。ここ愛媛県松山市には、のんびりしたまちの気質にぴったりの名物観光列車があります。ぽっぽーと、高音のかわいらしい汽笛を鳴らしながら、車道と併走する小さな「坊っちゃん列車」です。
松山市に暮らす、ふるさとLOVERS 四国ナビゲーターのハタノエリが、このまちで「100年先に残したいもの」と思いを寄せるのが、この「坊っちゃん列車」です。
坊っちゃん列車は明治21年から昭和29年までの間、市内を走っていた軽便鉄道。一度は役目を終えましたが、市民から復活を望む声が大きくなり、プロジェクトチームが発足。忠実に再現するための課題や、運行に関わる壁を乗り越えて2001年、当時の姿でまちに戻ってきました。
なぜこのまちに愛されるのか、100年先に残したいと思うのか、きちんとお伝えするため、実際に乗車してきました。
坊っちゃん列車には、道後温泉駅・大街道・松山市駅・JR松山駅前・古町の各停留所から乗車できます。ただし、人気が高く、便数と定員にも限りがあるため、整理券を入手できる「道後温泉駅」で乗車するのが確実。午前8時半から整理券が配られると聞き、早朝、行列に加わって整理券をゲット。無事に乗車できました。
明治時代の制服を着た車掌さんが手にするのは、改札バサミ。切符にパチンと穴を開ければ、タイムスリップの列車旅のはじまりです。
カンテラ式(携帯式の石油灯)のデザインを生かした室内灯といった、ディテールまで再現性にこだわり、木製の座面はゴツゴツしていて揺れるたびにお尻に振動が伝わります。エアコンもありません。停車のアナウンスやガイドは車掌さんが口頭で伝えます。時代が求める快適なもの、便利なものを除いた空間はなぜかとても愉快で、とても気持ちがいいのです。
松山は、観光名所やまちの機能がぎゅっとコンパクトにまとまったまち。道後温泉駅から、中心地にある終点の「松山市駅」までの約20分間に、山頂に立つ松山城、城を囲むお堀の四季の絶景、意匠性の高い県庁などの主要スポットを、木枠の車窓から望むことができます。
なぜ坊っちゃん列車と呼ばれるのかといえば、明治時代に発表された夏目漱石の小説『坊っちゃん』に、この列車が「マッチ箱のような汽車」と形容され、登場したことがきっかけ。その後、市民の間で愛称が飛び交い、「坊っちゃん列車」の名が根付いていきました。
わたしと坊っちゃん列車との出合いは2014年。夫の転勤に伴い、松山で暮らすことになって初めて訪れた日のことです。新しいまちに暮らす不安な心を解かしたのは、その愛らしい汽笛と姿だけではありませんでした。
幼かったわが子たちを目に留めた車掌さんが、思いっきり笑顔で手を振ってくれたのです。このまちに住むことをまるで歓迎してくれたようで、涙が出そうなほどうれしかった。当時の気持ちは今なお手触りできそうなほど鮮明に覚えています。それからまた別の場所へ引っ越しをして、「ここにまた住みたい」と松山へ移住してきたのは、あのときの“一目惚れ”に近い感情が効いている気がします。
実は、この坊っちゃん列車に乗務できるのは、運営する「伊予鉄道」の中でも選ばれし人たちです。リーダーの小野貴広さん(右)は、坊っちゃん列車を担当して丸11年。「お客さまからたくさんのものを与えてもらいましたし、坊っちゃん列車に乗車することで人として成長させていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです」。小野さんはまもなく、坊っちゃん列車の任期を終えて次の世代に託します。
まちに、市民の心に、温もりを与えてくれる坊っちゃん列車。これからも、たくさんの人たちの想いをいっぱい積んで、時代をどんどん乗り超えてこのまちに永遠に愛され続けていくことでしょう。
施設情報はこちら
坊っちゃん列車
089-948-3323(伊予鉄道株式会社)
区間(「道後温泉」~「松山市駅」間、「道後温泉」~「JR松山駅前」~「古町」間)
1乗車につき大人1000円、小児500円
運行状況は変わるので、下記専用サイトでダイヤをご確認ください。
http://www.iyotetsu.co.jp/botchan/
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四国支部 ライター・エディター
ハタノエリ
宮崎県の海のそばで生まれ育ち、高校卒業後は大学、仕事、夫の転勤を理由に
全国各地10カ所以上で暮らしました。2017年、愛媛県松山市に移住。現在は、ライター、エディター、コピーライターとして、取材対象の言外からあふれるものを拾いながら、ひと・もの・ことを、ことばで表現しています。